2008.04.14 Monday
[48] 生き方について考える
「癌」という病を色々調べていく過程で、考えてもみなかった多くの区別に行き当たっていきます。
進行癌であるということは「今も癌細胞が身体の中を漂っている」という可能性を示唆しています。
つまり「献血」はできない、というか、しないほうがいい。
同様に「臓器提供」も、しないほうがいい。
角膜は大丈夫みたいなんですけどね。
加えて当然の如く、新しい生命保険に入れない。
術後ようやく5年経って保険屋さんに審査してもらったけど、状況は大して変わっていませんでしたね。
つまり、癌になるとは、社会復帰後も差別を強いられると言うことなのです。
「癌からの生還」・・・等というカッコイイ表現がありますが、退院直後の高揚感はそれほど長続きしません。と言うかいつまでもハイでいる方が変なわけで、退院したら現実が待っているわけです。
そりゃ・・・一度は死の宣告を受けたわけですよ、自分の中ではね。だから、僕も生まれ変わったと思ったわけです。「生まれ変わった」はずだど。
でも、アニメのヒーローではないから、生命の剣とか、神秘の印があるわけではない。髪の毛が抜けたことと体力がひどく衰えたこと以外は、外見は何も変わっていない。無惨な術痕はありますが、見せて歩くわけにはいきませんからね〜(苦笑)
と言うことで「変わったはずだ、生まれ変わったはずだ」と言い聞かせてみても、何が変わったのか自分でも分からないのです。
でもね、あんなにも辛い思いをしたんだから、生まれ変わっていたいわけですよ。
で、退院後、段々に分かってきたのです。
「確かに僕は生まれ変わった、と言うか以前とは違う。もう、以前と同じには生きられない」ということでした。
僕は・・・・癌になったのがバツだと思ったくらいですから、自分の生き方に自信がなかったわけで、それ故に骨髄バンクなどにも登録していたんですね。卑怯な考え方ですが、自分の骨髄が誰かの命を救うなら、僕の罪は許されるのではないかというたくらみからの登録でした。
ところが、退院後調べてみると、癌患者は骨髄の提供ができないというのです。
骨髄提供は、実は自分が生まれ変わる唯一最大のチャンスだったのです。
それが出来ないと知ったとき、つまり僕は、救われてはいけないと言われているのだと、そんな気持ちにさえなりました。
財布にいつも入れていた臓器提供意思表示カードを破って捨て、件の血液センターに骨髄バンクからの登録抹消を依頼すると、なんだか自分が世の中に全く無用な存在に感じられてならないのです。「もはや無益だけど、存在することを許されている」みたいな感じ。
「離人症」とまでは言わないけど、大袈裟に例えるなら「哲学的な無常感」に包まれましたね、この時の僕は(笑)
しかしまあ、だからといって自暴自棄には生きられないわけですよ。
だって家族がいるし、自暴自棄になる方が結果的にはもっと辛い生き方になるだろうなという予感もあったし。
「哲学的な無常感」を覆すには、どんなことでもいいので「現実的な社会との関わり」が効果的なのではないかと僕は考えました。
それが、骨髄バンクの支援活動に参加しようと考えた理由なんですね。
バラしてしまえば、かなり安易な理由です。
それは退院して2ヶ月後のことでした。
僕はネットで県内のボランティア団体を見つけ出し、メールで入会の意志を告げました。
すると、5月にイベントがあるので、都合が合えば参加してほしいと返事が来ました。
参加したイベントは、今でもよく分からない趣旨のものだったのですが(苦笑)、とにかく僕は指示されるままに来場者の誘導をしたり、募金の呼びかけを手伝ったりしました。
半日の参加で、お弁当と、日当として500円いただきました(現在は日当の支給はありません)
・・・これは間違いなく「現実的な社会との関わり」でした。
「お前でも役に立ってるよ」と、ボランティア団体が社会に成り代わって僕の存在が認めてくれたのです。
究極の贖罪として、自らの骨髄を提供して人の命を救おうという安易な思い付きは頓挫しました。ただ待っているだけで自分は誰かの救世主になれる・・・・等という浅はかな発想で、骨髄を提供できたとして、僕がホントに救われるのかと言えば、恐らく僕は慢心するだけで余計に俗物化したのではないかと今は思います。
退院して無常感に包まれて、僕はようやく「現実の社会と関わる」ことの大切さを身体で理解したわけです。
僕の思い込みみたいなものですが、治療後社会復帰して山登りをする人、日本中、世界中を旅行する人、そういう人って少なくないと感じているのですが、治療後、少なからぬ人たちが、僕が体験したような「哲学的な無常感」に囚われるのではないか思うんです。
方法は違っても、みんなこの無常感を克服するために、自分の身体を使った現実社会との関わりに思い至るのかなー、なんてことを想像したりします。
僕の場合、これで社会復帰が完了したわけではないですが、間違いなく社会復帰の切っ掛けになりました。
再びポジティブに生きる力を、僕はボランティア活動で得たのです。
「僕は社会にとって100%無益ではないみたいだなー」
この感覚は、有益であると感じる自信よりも、はるかに有益だと信じられました。
2007.11.15 Thursday
[47] 「死に方」について考える
「転移」「死」というものを調べていくと、やはり空恐ろしいものがあるわけです。
腎臓を一つ失った僕は、しかし生活上の支障はまったく感じないわけで、体力が衰えたこと以外はいたって健康でした。
危険度の高い膀胱への再発は、三ヶ月毎の検査で「早期に」発見される。
その場合は、内視鏡で切除。一週間程度の入院治療。
人によってはこれを何度も繰り返すらしい。
しかし何度も膀胱をいじっていると、破れたり、機能しなくなったりすることがある・・・つまり人工膀胱の可能性があるということ。
これはたまらなく憂鬱な可能性です。
しかし、ネットで調べるうちに少しだけ光明が見えてきました。
人工膀胱には、回腸導管、蓄尿型人工膀胱、自排尿型人工膀胱の3種類があって、もっとも一般的なのが回腸導管で、腹部にストーマ(穴)を開けてパウチ(袋)に貯めるタイプのもの。
僕がたまらなく憂鬱だったのは、このタイプのことですね。
しかし自排尿型人工膀胱は、回腸の一部を使って膀胱の代わりとなる袋を作って、これを尿管と尿道につなげる・・・つまり、見た目は今までと変わりないわけです。
ただ、尿意は感じないようなので、時間を見計らって手で下腹部を押して排尿するそうだ。
いや、こんなのはストーマに比べれば断然いい。
膀胱に再発したときは、何が何でも自排尿型人工膀胱を希望しよう。
出来ないと言われたらセカンドオピニオンだ。
この発見で、膀胱再発に関して(だけ)は、とても気が楽になった。
と言うのも・・・膀胱内視鏡手術は、逆行性腎盂造影検査と大して変わらないようなのです。二度と体験したくはないけれど、逆に再発があの程度の辛さでしのげるのだとしたら、必要以上に憂鬱になることはないんだと思い至れたのです。
次ぎに、他臓器への転移はどうだろう?
国立がんセンターのホームページには「転移がある浸潤性腎盂・尿管がんの場合、2年生存率で10%以下と極めて不良」などと書いてある。
多くは肺や肝臓ということは、転移癌の根治的外科的手術は無意味ということなのか?
となると外科的手術というより、放射線治療がメインになるのかも。
抗癌剤は・・・いやだなあ。
まあ、これもどうやら転移した場所によるらしいのですけどね。
しかしとにかくこれらは(たぶん)延命的治療。
冷静にみて、多くの転移された方々が亡くなっていく現実から、僕が死から逃れられるとは考えられない。
他臓器への転移が発見された場合、それは残酷な死の告知と同義なんだと思う。
では、根治不可能な転移癌の場合、僕はどう死んでいくのだろう。
これも、転移した臓器によって異なるようだ。
痛いのだけはいやだなあ・・・
と、やがて「セデーション」というものを知る。
「セデーション」末期医療における、意識レベルを落として痛みを感じさせなくする「治療」のことです。「末期」でなくても単に「苦痛を和らげる治療」のことも指すようですが。
なるほど。
つまり「意識がなくなる=死」と捉えれば、自分で死ぬ時を選択できるというわけなのだ。
家族や友人にちゃんとお別れができる。
みっともない断末魔を晒さなくて済む。
・・・これはいいかもしれない。
しかし、ふと思った。
僕はいい。
痛みも忘れて心停止するのを待つだけなのだから。
しかし、心停止するその時を待ち続ける家族の思いは、どんなものなのだろう・・・
そうかあ・・・楽になるのは自分だけなんだな。
僕が初めて「セデーション」というものを知ったとき、なぜ癌患者の(たぶん)多くは、セデーションを施さずに激痛にもだえ苦しみながら亡くなっていく道を選ぶのだろうと思っていた。
最後の最後になっても「死にたくない」「死ぬはずがない」という思いもあるのだろうと思う。それも少しだけ分かる。
でももう一つ、自分だけ楽になることが許せないんじゃないかと想像する。
(たぶん)度重なる転移を経験し、辛い治療や体力の衰えを自覚しながら、死の恐怖にうち震え、しかしそれでも家族のために生き続けたいという強烈な願い。
たった一度の告知、治療体験だけでも、僕は死の恐怖と戦い、深く深く「生きたい」と願った。
それが、転移するたびに「繰り返される」
しかも更に強化されて。
「セデーション」とは、つまるところ逃げではないのか?
冷静になって、「患者」のQOLを突き詰めればセデーションはもっと普及すべきと僕は考える。だって・・・死に至る「苦痛」は、絶対的に不要であるはずだから。
しかし自分のこととなると、やはり事は割り切れない。
何故か?
やはり「最後まで闘った父親」でいたいからなんだろうなー。
つまり、死ぬその寸前まで見栄を張りたいのかもしれない。
激痛をも引き替えにしてね。
2007.10.10 Wednesday
[46] 術後一ヶ月検診
さて、そうこうするうちに術後一ヶ月検診の日がやってきました。
考えてみれば、外来で待つのは入院前の検査以来のこと。
これから何年もここで診察を待つのだなーと思うと、感慨深いと言うより、陰鬱な気持ちになる。
当時は、せめて新しい病院で、洗練された待合室だったらいいのになーと思っていた。
しかし仮に新築の病院だったとしたら、それでも何か理由を見つけて「陰鬱だ」と感じたのだろうと思うのです。
ようするに、「ウキウキしながら検査を待つ自分」なんて想像できないんですね。これは今でも変わりありません。
僕は、病期分類を図解したホームページをプリントして持参しました。
この一ヶ月検診で何か問題が発見されるとはさすがに思ってない。
僕の目的は、自分の癌が何物だったのかを明確にすることだけ。
そういう意味では待ちに待った一ヶ月検診だったのです。
相変わらず予約時間は「目安」というより「記入しないわけにはいかないから」程度のもので、確か1時間くらいしてようやく呼ばれたのだと記憶しています。
で、これは鮮明に覚えているのですが、主治医はこの時、いわゆるこういう場面での常套句である「その後、いかがですか?」を口にしなかったのです。
確かいきなり「検査結果は・・・」と言い出したのですが、実は、その後5年間にわたって「具合はどうですか?」や「何かありますか?」と聞いてくれたことがない。
・・・うーん、あれはドラマの世界だけのことなのだろうか?
ちなみに思い出してみると、この主治医だけではなく、他の個人医院などでも聞かれた記憶がないのです。
一般的にはどうなんでしょうね?
さて、うかうかしているとさっさと帰されてしまうので、僕は急いでプリントした病期分類の図解を主治医に差し出しました。
主治医は「shigeoさんは、よく調べているね〜」と呑気に感心しています。
(患者に調べさせないで、病院が出すのがホントでしょ!)と、心の中で毒づく僕。
「うーん、ここかな」と主治医が指さした箇所は「T2(癌浸潤が筋層に及ぶが筋層を越えていない)」でした。
と言うことで予後は、T2=25〜65%。
最大値は・・・0〜65%。
・・・これでは喜んで良いのか落胆すべきなのか、余計にわからない。
実際、医師はこういう場合、どうみるのだろう?
素人的には重なった部分を見るのかなーとも思う。
すると、2つの異形度の予後と一つの病期分類による予後の全てが重なる値は、25〜30%。
う〜ん、これでは悪すぎる。
と、こんな個人的な「思い」で捉えた数値に、意味などまったくないわけですが、当時の僕は真剣すぎて、そんな当たり前のことにまったく気が付きませんでした。
不思議なもので5年生存率65%と考えると一瞬はホッとするのだけど、直ぐに「そんなわけはない」と不安に包まれる。
25%と考えると、いったんは「こんなもんだろうな〜」と思うのだけど、途端に「そんなはずはない」と否定したくなる。
予後が良いのがいいのか、悪いのがいいのか、自分の命なんだから、良い方がいいに決まっているはずなのに、何故かそうは思えない、感じられない。
これ、一種の「心気障害」みたいな感覚なのかなーと、後になって思ったわけです。
あと、主治医は予後に関しては一切触れません。
プリントしたデータを見せて「こんなものですか?」と問うと「それほど悪くはない」と答える。
でも「どれくらい悪くない」のか、こっちはデータで聞いているのだから、数値で答えて欲しいわけですよ。
とても勝手でわがままな言い分ですが、ちゃんと数値で答えてくれないから余計に不安になるんです。
とにかく僕は異形度G3、病期T2という癌であったと一応確定しました。
しかしこれでホッとするわけではない。
次は「転移したらどうなるのか?」が気になって仕方ないのです。
何しろ腎盂の進行癌は、転移したら治療方法がないというのですから。
入院して、退院するまでの間で一番の問題はやっぱり「自分のこと」
しかし退院すれば、身近にいる家族の未来が再び気になってならない。
転移すれば、治療代はどれくらいかかるのか?
どれくらい生きられるのか?
というより「どんな死に方」をするのか?
家族を持ってもっとも避けたいのは「治療が長引いて職を失い借金が重なること」
それで生還できればいいですよ。
でも、それほど家族に負担を強いて死んでしまうのだけは、どうしても避けなければならないことなのでした。
かすかな奇跡のような望みがあれば、家族の判断としてはたぶんすがりつくでしょう。
立場が違えば僕もそうするわけで。
でもその「望み」には、現実的には莫大な費用がかかったりするわけです。
ならば、家族に無用な負担をかけないためには、最悪のケースを知っておく必要がある。
ネットでの闘病記探索が転移している患者さん中心になっていったのは、考えてみれば当然の流れだったのかもしれません。
2007.09.04 Tuesday
[45] 闘病記の中の未来
病期分類に関しては、説明がなかったので自分ではどうにも判断できない。
つまり、退院一ヶ月検診を待つしかなく、僕は悶々と日々を過ごすことになるのでした。
いずれにしろ、調べること、やりたいことはいくらでもあるので、気を紛らわすことは難しくはありませんでしたが。
インターネットには、驚くほど多くの癌闘病記がありました。
関わりがなかったから知らなかっただけ。
それがいざ関わってみると、驚くほど色んな世代、色んな部位の闘病記がありました。
しかし・・・腎盂癌はない。
そんなにマイナーなのかと驚くと同時に、情報があまり得られないことに焦燥感が募りました。やがて分かるのだけど、マイナーな癌は、当然治療法も限られるわけです。どうして「転移後の予後」が異様に低いかと言えば、まさにこのマイナーであることが原因なんですね。
僕はあまのじゃくなので、基本的に「マイナー」という響きには弱いのですが、今回ばかりはマイナーであることを喜べないのでした。
ではドラマでおなじみのスキルス胃癌だったらよかったのか?
これはこれで・・・恐ろしいですよね。
当たり前と言えば当たり前なのですが、部位による優劣なんてないわけなんですよ、癌には。「肺でよかったね〜」とか「大腸じゃ大変だ!」なんてことはない。
癌は癌であるが故に、平等に残酷な未来を秘めているのです。
さて、話しを戻しますが、ネットを徘徊するうちに、「面白い」闘病記というものに行き当たる。「面白い」とは不謹慎ですが、癌の進行・治療の経過・執筆者の考え方、感じ方・文体を総合して、読み物として優れている、と同時に共感できる、そんな闘病記が少なからず見つかるのです。
僕はそれらのいくつかの闘病記のファンになりました。
この頃の僕の心の中では、どんな葛藤が起こっていたのだろう。
退院後、新たに入ってくる情報は、予後の悪さを証明するものばかり。
当時の僕は、かなりの確率で数年のうちに再発転移するものと思い込んでいました。
その思い込みは恐怖です。
そして「恐怖」は、事実を知らないから発生する情動です。
未来を見ることができれば、恐怖は抑えこめるのではないか?
闘病記の中にあるもの・・・それは、僕がこれから経験するかもしれない未来なのかもしれない。
そう、これもまた「未来の見える鏡」だったんです。
しかしやがて、進行中の患者さんの命は尽きていく。
遺族による死亡の報告と、応援してくれた方々への感謝のメッセージを以て、永遠に時を止めネットを漂う闘病記。
ある日付を以て、唐突に途切れる本人の日記。
僕は、何度も何度も、途切れた日付前後の日記を食い入るように読み返しました。
読み返したところで、日付は先には進まないのだけど。
それは、広大なネットらに漂う遠い別世界のフィクションのようでいて、近い将来、確実に自分にも訪れる明白な現実でもあるのです。
正直に書きましょう。
再発転移と闘っていた方々の闘病記を、僕は、彼等の快復を願うというよりは、自分の行く道を確かめるために読んではいなかったか?
ある方は、西洋医学から見放され、温泉や健康器具や健康食品や、果ては飲尿健康法や念力、精神力にまですがりました。幼い子どもを持つ彼は、どうしても死にたくなかった。死ぬわけにはいかなかった。その結果が、すがれる可能性に全てすがるという悲壮な行動に駆り立てたのです。
「癌」と無縁な人にとっては、それは滑稽な行いに感じられたかもしれない。
しかし、息を止めて吐きそうになりながら飲尿する彼を、僕は笑うことができなかった。
しかし「ここに未来の僕はいるのか?」
可能性は否定しませんが、本意ではないわけです、僕にとっては。
このようにして僕は、人の闘病記を通して自分を試していたのかもしれない。
試していたのは、恐怖に打ち勝つ覚悟。
そして僕にとってそれは、ある種の臨死体験でもあったわけなのです。
唐突に途切れた日記の先に拡がっているのは、透徹な暗黒世界でした。
それを僕は、執拗にのぞき込み続けたのです。
夜また、眠れなくなるほどに。
実は今は・・・ほとんど闘病記を読んでいません。
何故なら、熱心に読んでいた闘病記の患者さん、みんな亡くなっちゃったから。
それと、やがて、未来を知ることより、未来を作ることの方が楽しいと分かったからです。
ただしそれは、まだとうぶん先の話しですが。
2007.08.20 Monday
[44] 未来の見える鏡
会社での自分の存在価値が心配で、退院後そそくさと出社して「それほど時は進んでいない」と信じられたとき、ホッとしたと同時に、心にスキができたのも確かでした。
(この件は、いずれ書くことになると思います)
慌てて現場復帰する必要はないと読んだ僕は、結局3月いっぱい午前中だけ出社し、午後は「静養」と称し家で「癌」についてネットで情報を収集することに費やしていました。
僕は今、どういう状況なのか?
病院では、結局詳しい話は一切聞かされなかったのです。
分かっているのは「腎盂癌」であったこと、「腎盂から腎臓への浸潤」があったこと、転移の可能性があるので、予防的抗癌剤治療を受けたこと。そして、保険会社に申請するために主治医に書いてもらった診断書。
たったこれだけでした。
まず、診断書です。しかしそれはあまりに素っ気なく、期待していたような詳細な情報は得られなかった。
ただ一つ「異形度:G3」という記述がぐさりと胸を突き刺しました。
世の中には情報があふれている・・・と当時も思いました。
ネットで検索するだけで、タダで色んな情報が手に入るのですから。
だけど僕は、入院前にもネットで情報を収集したはず。
だけど腎臓と腎盂の違いが分からなかった、だからせっかく収集した入院前の知識は、ほとんど価値を失っていたのです。
改めて「腎盂癌」でネットを検索すれば、様々な事の合点がいくのです。
次ぎに「浸潤」の意味が分かればいい。
なぜ浸潤が悪いのか。
こういう事も次第に分かっていくのです。そして分かってくると、手術前に主治医が言った言葉の意味もようやく理解できるのです。
主治医はこんな表現をしました。
「癌がカリフラワーのように腎盂の内側に出っ張っていれば、あまり心配はない」
当時はまったく意味がわからなかったんですね。
カリフラワーってなんだよって。
ようするに当時の僕は、癌には早期とか末期があって、それで全てだと思っていたのです。
しかし癌には種類がある。それを「異形度」という。
つまり「異形度」が軽い癌の見た目をカリフラワーに例えていたんですね、主治医は。この状態を専門的には「表在癌」と言うそうです。で異形度2〜3を「浸潤癌」という。で、それぞれの程度を示すのがG=グレードだったわけです。
つまりぼくの腎盂にできた悪性新生物はG3というタチの悪いヤツだった・・・ということだったようです。
・・・なんでそれを「顔つきが悪い」とか、変な表現をするのか(苦笑)
分かりやすく伝えたいという意図は分かりますが、自分の病気について深く知りたいと願う僕のような患者はかえって混乱してしまいます。
やがて、国立がんセンターのサイトに僕はたどり着きました。
なぜこれまでに立ち寄らなかったか、今もって不思議でなりません。というか、もっと早くたどり着いていれば、全てが判明したはずなのにと。
そこには、驚くべき記述がありました。
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一般的に、腎盂・尿管がんの予後は不良といわれていますが、表在がんであった場合の予後は良好で5年生存率は90〜100%程度です。浸潤がんであった場合の予後は、前述したような理由から、膀胱がんより明らかに不良で、各種治療法にもかかわらず5年生存率で10〜40%です。転移がある浸潤性腎盂・尿管がんの場合、2年生存率で10%以下と極めて不良です。
(国立がんセンターがん情報サービス「腎盂・尿管がん」の項目より引用)
http://ganjoho.ncc.go.jp/public/cancer/data/ureter.html
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僕の癌は浸潤していた。
だから抗癌剤治療を受けたのです。
このことについて、確かにこう言われていました。
「カリフラワーだったら、抜糸して、少ししたら退院できるよ」と。
同時に「(癌の)顔つきが悪かったら、抗癌剤やるよ」とも。
そして術後、生検の結果が出た後にも「浸潤していたから抗癌剤をしよう」と。
好意的に捉えてみれば、医師は何も説明していなかったわけではないんですね。
ある意味・・・ちゃんと説明責任を果たしていたわけです。
だけど、それにしても患者である僕に伝わらなかったのは、僕の理解度に問題があるからなのか?
または、僕が求めている説明のレベルを、はっきりと伝えなかったからこうなったのか。
しかし、上記の国立がんセンターの記述と照らし合わせると、僕の5年生存率は「10〜40%」
ということになる。
・・・これは間違いなく、誰も言ってくれなかった。
もちろん、僕も聞かなかったのだけど。
と言うか、聞けないでしょ!
しかし「浸潤」が、いったいどの程度だとどうなるのかが、今ひとつ分からない。
僕は更にネット検索を続けました。そして、とうとうこの情報にたどり着いたのです。
名古屋大学病院 腎盂尿管がん概説
http://www.med.nagoya-u.ac.jp/uro/pelvisureter/pu-data.html
このページでは、浸潤の程度と病期の関係が分かりやすい図となって表されていました。
整理するとこんな感じです。
Ta 腎盂内側の粘膜にとどまるっている状態
T1 腎盂内側の粘膜に浸潤している状態
T2 浸潤が粘膜から更に筋質に及んでいる状態
T3 浸潤が筋質を突き抜けている状態
T4 隣接臓器へ浸潤している状態
ここにも異形度と、さらには病期別の5年生存率が記されていました。
腎盂尿管腫瘍の5年生存率は、組織異型度ではgrade1=75〜100%、grade2=50〜90%、grade3= 0〜30%であり、また病理学的な病期では、病期Ta-T1=62〜100%、T2=25〜65%、T3=23〜34%、T4=0〜15%と報告されています。
すでに異形度は分かっています。G3です。
名古屋大学の統計によるとその5年生存率は0〜30%。
・・・国立がんセンターのデータ内におさまっている。
というか、国立がんセンターより予後が悪いではないか!
残るは病期分類です。
このデータは国立がんセンターにはありませんでした。
同じ「浸潤」でも、T1とT3では天地ほど差があります。
異形度がG3でもし病期がT3だとしたら・・・これは5年生存率30%前後が確定するということなのか?
知れば知るほど、現実とは、なんと恐ろしいのだろうか。
しかし、もう知ることを止められない。
僕はまるで、決して見てはいけない「未来の見える鏡」を手にしているような気がしてなりませんでした。
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