2008.12.04 Thursday
「輝け!命のリレー」 再放送
11月にNHKで放送された番組の再放送。
実は、僕もうっかり見逃してしまいました。
僕の尊敬する友人が、鹿児島で精力的に活動しています。
「啓蒙」って難しいなと、つくづく思うんです。
ちょうど、超スローペースな闘病記でも、この「啓蒙」にさしかかっていて、僕は早々に壁にぶち当たって挫折した立場なので、友人の熱意と意志の強さにはいつも感服しております。
「輝け!命のリレー」
http://www.nhk.or.jp/osaka/inochi/
12月7日(日)
NHK総合テレビ(全国)
午前2時5分〜3時23分
番組HPには放送後にもたくさんメッセージが寄せられています。
ぜひごらんください。
http://www.nhk.or.jp/osaka/inochi/
・・・ああっ、闘病記書かなくては。
2008.10.24 Friday
[49] 友と交わす盃
僕の好物はお酒です。
一番好きなのはビールで、真冬でも欠かすことはありません。
入院前はちょうど忘年会シーズンで、会社、友人、趣味の会などなど、これで最後かもしれないと思いは強く、結果いつも以上に痛飲する忘年会が続きました。
・・・癌ではなくお酒で入院する勢いでしたね(苦笑)
そんなわけですから、入院治療中断酒できるのかが、僕にとってはかなり深刻なテーマだったわけです。
しかし意外なことにとても簡単でした。
手術後、抗癌剤治療が決まり、一週間ほどの初めての外泊が許されました。
外泊の最初の夜に、僕はいそいそとビール缶を開けました。
何しろ入院から2週間です。
これほどアルコールを口にしなかった経験なんて未だかつてなかったのですから。
ところがです。
一口ビールを含んで、僕は衝撃を受けました。
まったく美味しいと感じられないのです。
ガマンして飲み続けましたが、半分くらいイヤになりました。
これは抗癌剤治療の前です。
だから抗癌剤の副作用ではない。
単に手術によって体力が奪われ、体か変調を来していた結果なのです。
(風邪を引いたときビールを飲んでもまずいのと同じでしょう)
結局、僕は退院するまで何度か外泊しましたが、とうとう外泊中にお酒を飲むことはありませんでした。
飲みたいと感じられなかったといった方が正確です。
念願の退院後は、意地(?)で毎晩飲み続けましたが、入院前のように美味しいと感じるまでにはしばらく時間が必要でした。
これはビールだけではなく食事も影響を受けましたから抗癌剤の副作用です。
味覚を奪った抗癌剤の威力・・・・というか強さに改めて驚かされます。
さて、退院から一ヶ月ほどして、僕は古い友人達と酒の席に着きました。
たぶん30歳を迎えた頃だったと記憶するのですが、古い友人の一人から一つの提案がなされました。
我々は学生時代、独身時代と違って、もはや気軽に集まることも遊ぶことができない立場にいる。
社会的な責任も増すこれからは、よほど意識しないと会う機会はますます減るだけだろう。
そこで定期的に(義務化して)席を設けないか?
ようするに定期的にお酒を飲みましょうというお誘いです(笑)
声をかけられたのは二十歳前後に勉強会と称してやはりお酒を飲んでいた仲間達。
その後、いったんは離ればなれになりましたが、30を前にして、全員が故郷に戻っていたのです。
定期的に飲み会することに異存のある者はいません。
が、30歳といえばまだまだ若造で理屈っぽい頃です。
元々が勉強会を通して知り合った仲間ですから、会うならまた勉強会にしようとか、仲間を増やそうとか、実際勉強会らしきものをやったり、ゲストを迎えて討論するなんてこともしました。
しかし同時に30歳といえば、すでに安定志向で色々な意味で守りに入る年頃。
毎回テーマを設けて・・・・というのは誰にとっても負担でした。
自己啓発的な会合は早速と崩壊し、単なる飲み会と化してしまったのは、ある意味必然的だったとも言えます。
それにしてもこの飲み会。
二ヶ月に一回というスケジュールをほとんど変えることなく、現在に至るまで続いています。
もう20年近くなるわけで、よくもまあ飽きもせず集まれるなあと感心すると共に半ば呆れます。
前置きが長くなりましたが退院後に酒を囲んだのがこのメンバーでした。
もちろん癌になったのはこのメンバーで僕が初めて。
年末に「生きて帰る」と誓って、約束通りまた一緒にお酒が飲めたのです。
生還をこうして共に祝ってくれる仲間がいるということは、なんと有り難いことでしょう。
一人が感極まって「死ななくて本当に良かった」と泣ました。
「死ななくて良かった」
そう言われてみて、僕は改めて本当に大変な体験をしたんだなーと思いました。
大変な体験・・・すなわち貴重な体験です。
この体験を交友関係に活かすことはできるのか?
経験者として語れることはあるのか?
入院治療は、個人と家族にとっての問題でした。
退院後はしかし、社会との関わりが復活します。
個人的なことではボランティアで存在意義を見出した。
しかしそれは自分の内側に向かう性質のものです。
戦争体験者が悲惨な体験を語り継ぐように、僕がこの体験を語り継ぐことに意味や意義を見出せるのか?
それが社会に対する何らかの貢献となり得るのか?
友人等と語らいながら、僕はこんなことを考えていました。
大袈裟に言えば、たぶん生まれて初めて「社会」を意識した瞬間なのでした。
2008.04.14 Monday
[48] 生き方について考える
「癌」という病を色々調べていく過程で、考えてもみなかった多くの区別に行き当たっていきます。
進行癌であるということは「今も癌細胞が身体の中を漂っている」という可能性を示唆しています。
つまり「献血」はできない、というか、しないほうがいい。
同様に「臓器提供」も、しないほうがいい。
角膜は大丈夫みたいなんですけどね。
加えて当然の如く、新しい生命保険に入れない。
術後ようやく5年経って保険屋さんに審査してもらったけど、状況は大して変わっていませんでしたね。
つまり、癌になるとは、社会復帰後も差別を強いられると言うことなのです。
「癌からの生還」・・・等というカッコイイ表現がありますが、退院直後の高揚感はそれほど長続きしません。と言うかいつまでもハイでいる方が変なわけで、退院したら現実が待っているわけです。
そりゃ・・・一度は死の宣告を受けたわけですよ、自分の中ではね。だから、僕も生まれ変わったと思ったわけです。「生まれ変わった」はずだど。
でも、アニメのヒーローではないから、生命の剣とか、神秘の印があるわけではない。髪の毛が抜けたことと体力がひどく衰えたこと以外は、外見は何も変わっていない。無惨な術痕はありますが、見せて歩くわけにはいきませんからね〜(苦笑)
と言うことで「変わったはずだ、生まれ変わったはずだ」と言い聞かせてみても、何が変わったのか自分でも分からないのです。
でもね、あんなにも辛い思いをしたんだから、生まれ変わっていたいわけですよ。
で、退院後、段々に分かってきたのです。
「確かに僕は生まれ変わった、と言うか以前とは違う。もう、以前と同じには生きられない」ということでした。
僕は・・・・癌になったのがバツだと思ったくらいですから、自分の生き方に自信がなかったわけで、それ故に骨髄バンクなどにも登録していたんですね。卑怯な考え方ですが、自分の骨髄が誰かの命を救うなら、僕の罪は許されるのではないかというたくらみからの登録でした。
ところが、退院後調べてみると、癌患者は骨髄の提供ができないというのです。
骨髄提供は、実は自分が生まれ変わる唯一最大のチャンスだったのです。
それが出来ないと知ったとき、つまり僕は、救われてはいけないと言われているのだと、そんな気持ちにさえなりました。
財布にいつも入れていた臓器提供意思表示カードを破って捨て、件の血液センターに骨髄バンクからの登録抹消を依頼すると、なんだか自分が世の中に全く無用な存在に感じられてならないのです。「もはや無益だけど、存在することを許されている」みたいな感じ。
「離人症」とまでは言わないけど、大袈裟に例えるなら「哲学的な無常感」に包まれましたね、この時の僕は(笑)
しかしまあ、だからといって自暴自棄には生きられないわけですよ。
だって家族がいるし、自暴自棄になる方が結果的にはもっと辛い生き方になるだろうなという予感もあったし。
「哲学的な無常感」を覆すには、どんなことでもいいので「現実的な社会との関わり」が効果的なのではないかと僕は考えました。
それが、骨髄バンクの支援活動に参加しようと考えた理由なんですね。
バラしてしまえば、かなり安易な理由です。
それは退院して2ヶ月後のことでした。
僕はネットで県内のボランティア団体を見つけ出し、メールで入会の意志を告げました。
すると、5月にイベントがあるので、都合が合えば参加してほしいと返事が来ました。
参加したイベントは、今でもよく分からない趣旨のものだったのですが(苦笑)、とにかく僕は指示されるままに来場者の誘導をしたり、募金の呼びかけを手伝ったりしました。
半日の参加で、お弁当と、日当として500円いただきました(現在は日当の支給はありません)
・・・これは間違いなく「現実的な社会との関わり」でした。
「お前でも役に立ってるよ」と、ボランティア団体が社会に成り代わって僕の存在が認めてくれたのです。
究極の贖罪として、自らの骨髄を提供して人の命を救おうという安易な思い付きは頓挫しました。ただ待っているだけで自分は誰かの救世主になれる・・・・等という浅はかな発想で、骨髄を提供できたとして、僕がホントに救われるのかと言えば、恐らく僕は慢心するだけで余計に俗物化したのではないかと今は思います。
退院して無常感に包まれて、僕はようやく「現実の社会と関わる」ことの大切さを身体で理解したわけです。
僕の思い込みみたいなものですが、治療後社会復帰して山登りをする人、日本中、世界中を旅行する人、そういう人って少なくないと感じているのですが、治療後、少なからぬ人たちが、僕が体験したような「哲学的な無常感」に囚われるのではないか思うんです。
方法は違っても、みんなこの無常感を克服するために、自分の身体を使った現実社会との関わりに思い至るのかなー、なんてことを想像したりします。
僕の場合、これで社会復帰が完了したわけではないですが、間違いなく社会復帰の切っ掛けになりました。
再びポジティブに生きる力を、僕はボランティア活動で得たのです。
「僕は社会にとって100%無益ではないみたいだなー」
この感覚は、有益であると感じる自信よりも、はるかに有益だと信じられました。
2007.11.15 Thursday
[47] 「死に方」について考える
「転移」「死」というものを調べていくと、やはり空恐ろしいものがあるわけです。
腎臓を一つ失った僕は、しかし生活上の支障はまったく感じないわけで、体力が衰えたこと以外はいたって健康でした。
危険度の高い膀胱への再発は、三ヶ月毎の検査で「早期に」発見される。
その場合は、内視鏡で切除。一週間程度の入院治療。
人によってはこれを何度も繰り返すらしい。
しかし何度も膀胱をいじっていると、破れたり、機能しなくなったりすることがある・・・つまり人工膀胱の可能性があるということ。
これはたまらなく憂鬱な可能性です。
しかし、ネットで調べるうちに少しだけ光明が見えてきました。
人工膀胱には、回腸導管、蓄尿型人工膀胱、自排尿型人工膀胱の3種類があって、もっとも一般的なのが回腸導管で、腹部にストーマ(穴)を開けてパウチ(袋)に貯めるタイプのもの。
僕がたまらなく憂鬱だったのは、このタイプのことですね。
しかし自排尿型人工膀胱は、回腸の一部を使って膀胱の代わりとなる袋を作って、これを尿管と尿道につなげる・・・つまり、見た目は今までと変わりないわけです。
ただ、尿意は感じないようなので、時間を見計らって手で下腹部を押して排尿するそうだ。
いや、こんなのはストーマに比べれば断然いい。
膀胱に再発したときは、何が何でも自排尿型人工膀胱を希望しよう。
出来ないと言われたらセカンドオピニオンだ。
この発見で、膀胱再発に関して(だけ)は、とても気が楽になった。
と言うのも・・・膀胱内視鏡手術は、逆行性腎盂造影検査と大して変わらないようなのです。二度と体験したくはないけれど、逆に再発があの程度の辛さでしのげるのだとしたら、必要以上に憂鬱になることはないんだと思い至れたのです。
次ぎに、他臓器への転移はどうだろう?
国立がんセンターのホームページには「転移がある浸潤性腎盂・尿管がんの場合、2年生存率で10%以下と極めて不良」などと書いてある。
多くは肺や肝臓ということは、転移癌の根治的外科的手術は無意味ということなのか?
となると外科的手術というより、放射線治療がメインになるのかも。
抗癌剤は・・・いやだなあ。
まあ、これもどうやら転移した場所によるらしいのですけどね。
しかしとにかくこれらは(たぶん)延命的治療。
冷静にみて、多くの転移された方々が亡くなっていく現実から、僕が死から逃れられるとは考えられない。
他臓器への転移が発見された場合、それは残酷な死の告知と同義なんだと思う。
では、根治不可能な転移癌の場合、僕はどう死んでいくのだろう。
これも、転移した臓器によって異なるようだ。
痛いのだけはいやだなあ・・・
と、やがて「セデーション」というものを知る。
「セデーション」末期医療における、意識レベルを落として痛みを感じさせなくする「治療」のことです。「末期」でなくても単に「苦痛を和らげる治療」のことも指すようですが。
なるほど。
つまり「意識がなくなる=死」と捉えれば、自分で死ぬ時を選択できるというわけなのだ。
家族や友人にちゃんとお別れができる。
みっともない断末魔を晒さなくて済む。
・・・これはいいかもしれない。
しかし、ふと思った。
僕はいい。
痛みも忘れて心停止するのを待つだけなのだから。
しかし、心停止するその時を待ち続ける家族の思いは、どんなものなのだろう・・・
そうかあ・・・楽になるのは自分だけなんだな。
僕が初めて「セデーション」というものを知ったとき、なぜ癌患者の(たぶん)多くは、セデーションを施さずに激痛にもだえ苦しみながら亡くなっていく道を選ぶのだろうと思っていた。
最後の最後になっても「死にたくない」「死ぬはずがない」という思いもあるのだろうと思う。それも少しだけ分かる。
でももう一つ、自分だけ楽になることが許せないんじゃないかと想像する。
(たぶん)度重なる転移を経験し、辛い治療や体力の衰えを自覚しながら、死の恐怖にうち震え、しかしそれでも家族のために生き続けたいという強烈な願い。
たった一度の告知、治療体験だけでも、僕は死の恐怖と戦い、深く深く「生きたい」と願った。
それが、転移するたびに「繰り返される」
しかも更に強化されて。
「セデーション」とは、つまるところ逃げではないのか?
冷静になって、「患者」のQOLを突き詰めればセデーションはもっと普及すべきと僕は考える。だって・・・死に至る「苦痛」は、絶対的に不要であるはずだから。
しかし自分のこととなると、やはり事は割り切れない。
何故か?
やはり「最後まで闘った父親」でいたいからなんだろうなー。
つまり、死ぬその寸前まで見栄を張りたいのかもしれない。
激痛をも引き替えにしてね。
2007.10.10 Wednesday
[46] 術後一ヶ月検診
さて、そうこうするうちに術後一ヶ月検診の日がやってきました。
考えてみれば、外来で待つのは入院前の検査以来のこと。
これから何年もここで診察を待つのだなーと思うと、感慨深いと言うより、陰鬱な気持ちになる。
当時は、せめて新しい病院で、洗練された待合室だったらいいのになーと思っていた。
しかし仮に新築の病院だったとしたら、それでも何か理由を見つけて「陰鬱だ」と感じたのだろうと思うのです。
ようするに、「ウキウキしながら検査を待つ自分」なんて想像できないんですね。これは今でも変わりありません。
僕は、病期分類を図解したホームページをプリントして持参しました。
この一ヶ月検診で何か問題が発見されるとはさすがに思ってない。
僕の目的は、自分の癌が何物だったのかを明確にすることだけ。
そういう意味では待ちに待った一ヶ月検診だったのです。
相変わらず予約時間は「目安」というより「記入しないわけにはいかないから」程度のもので、確か1時間くらいしてようやく呼ばれたのだと記憶しています。
で、これは鮮明に覚えているのですが、主治医はこの時、いわゆるこういう場面での常套句である「その後、いかがですか?」を口にしなかったのです。
確かいきなり「検査結果は・・・」と言い出したのですが、実は、その後5年間にわたって「具合はどうですか?」や「何かありますか?」と聞いてくれたことがない。
・・・うーん、あれはドラマの世界だけのことなのだろうか?
ちなみに思い出してみると、この主治医だけではなく、他の個人医院などでも聞かれた記憶がないのです。
一般的にはどうなんでしょうね?
さて、うかうかしているとさっさと帰されてしまうので、僕は急いでプリントした病期分類の図解を主治医に差し出しました。
主治医は「shigeoさんは、よく調べているね〜」と呑気に感心しています。
(患者に調べさせないで、病院が出すのがホントでしょ!)と、心の中で毒づく僕。
「うーん、ここかな」と主治医が指さした箇所は「T2(癌浸潤が筋層に及ぶが筋層を越えていない)」でした。
と言うことで予後は、T2=25〜65%。
最大値は・・・0〜65%。
・・・これでは喜んで良いのか落胆すべきなのか、余計にわからない。
実際、医師はこういう場合、どうみるのだろう?
素人的には重なった部分を見るのかなーとも思う。
すると、2つの異形度の予後と一つの病期分類による予後の全てが重なる値は、25〜30%。
う〜ん、これでは悪すぎる。
と、こんな個人的な「思い」で捉えた数値に、意味などまったくないわけですが、当時の僕は真剣すぎて、そんな当たり前のことにまったく気が付きませんでした。
不思議なもので5年生存率65%と考えると一瞬はホッとするのだけど、直ぐに「そんなわけはない」と不安に包まれる。
25%と考えると、いったんは「こんなもんだろうな〜」と思うのだけど、途端に「そんなはずはない」と否定したくなる。
予後が良いのがいいのか、悪いのがいいのか、自分の命なんだから、良い方がいいに決まっているはずなのに、何故かそうは思えない、感じられない。
これ、一種の「心気障害」みたいな感覚なのかなーと、後になって思ったわけです。
あと、主治医は予後に関しては一切触れません。
プリントしたデータを見せて「こんなものですか?」と問うと「それほど悪くはない」と答える。
でも「どれくらい悪くない」のか、こっちはデータで聞いているのだから、数値で答えて欲しいわけですよ。
とても勝手でわがままな言い分ですが、ちゃんと数値で答えてくれないから余計に不安になるんです。
とにかく僕は異形度G3、病期T2という癌であったと一応確定しました。
しかしこれでホッとするわけではない。
次は「転移したらどうなるのか?」が気になって仕方ないのです。
何しろ腎盂の進行癌は、転移したら治療方法がないというのですから。
入院して、退院するまでの間で一番の問題はやっぱり「自分のこと」
しかし退院すれば、身近にいる家族の未来が再び気になってならない。
転移すれば、治療代はどれくらいかかるのか?
どれくらい生きられるのか?
というより「どんな死に方」をするのか?
家族を持ってもっとも避けたいのは「治療が長引いて職を失い借金が重なること」
それで生還できればいいですよ。
でも、それほど家族に負担を強いて死んでしまうのだけは、どうしても避けなければならないことなのでした。
かすかな奇跡のような望みがあれば、家族の判断としてはたぶんすがりつくでしょう。
立場が違えば僕もそうするわけで。
でもその「望み」には、現実的には莫大な費用がかかったりするわけです。
ならば、家族に無用な負担をかけないためには、最悪のケースを知っておく必要がある。
ネットでの闘病記探索が転移している患者さん中心になっていったのは、考えてみれば当然の流れだったのかもしれません。
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