2007.03.08 Thursday
[32]つかの間の平和
とにかく6日目から、少しずつ副作用は薄らいできました。
7日目の朝食はパンでしたが、1/3くらい食べることができました。
昼食も半分くらい。
夕食も半分くらい。
ようやく副作用は峠を越えた。
僕は心底、ほっとしました。
妻にもメールをしました。
妻も心から喜んでくれました。
会社にもメールを入れました。
また遊びに来て欲しいから。
吐き気は治まりましたが、今度は病院食が食べたくなくなってしまいました。
というか、食べても味がしない。
そうです、これも副作用だったのです。
とにかく味付けが薄いと、なんか変なものを食べてる感じがしてならないのです。
売店でカップラーメンを買って食べてみました(こっそりと)
量は食べられませんが、これくらい濃くないと食べた気がしません。
しかしこんなものばかり食べ続けるわけにはいきません。
妻に、ソースと振り掛けを頼みました。
ついでにお惣菜の鶏の唐揚げとか。
実は、入院で数キロ痩せた僕でしたが、退院後にも味覚がなかなか戻らず、濃い味付けのもの(=高カロリー)ばかり食べ続けたせいで、あっという間に入院前の体重に戻り、さらには数キロ増えてしまうことになるのでした。
僕が副作用で苦しんでいる間に、病室では患者さんの入れ替わりがあり、Oさんという、70歳くらいの男性が新たに入院してきました。
やがてこのOさん夫婦と僕達夫婦は、入院中一番に仲良くなるのですが、この時Oさんは僕を、なんて陰気なヤツなんだと思っていたそうです。
僕が回復してからは、積極的に話しかけたり冗談言っていたので、その豹変ぶりにとても混乱したそうです。どっちが本当のshigeoさんなんだろうと。
そりゃそうですよね。
ニコリともしないで挨拶もロクにしなかったんですから。
後で「抗癌剤で辛かったんですよ」と説明して、ようやく納得していただきました。
ま、それくらいひどかったと。
と思うと、やはり見舞いを断ったのは正解だったと言えるのかも。
ようやく食欲も戻ったのですが、そんなわけでとにかく病院食を食べたくない。
そこで再び、外泊のお願いをしました。
2月4日、一泊の外泊が許可されました。
家では、妻が僕の好きな料理を作ってくれました。
もちろん、腹一杯食べることはできませんでしたが、家で食べる食事は、とにかく美味しいのです。
たった一泊の外泊でしたが、それでまた僕は、再び戦う勇気を得ることができました。
それまで、色んな闘病日記を読んで、なんてみんな、寸暇を惜しんで外泊したがるのだろうと、少し不思議でもあったのですが、なんのこっちゃない、自分の入院が長引いて、ようやくその理由がわかったのでした。
「理由」なんてもんじゃないですね。
病院にずっといると、心が渇くんですよ。
気が休まるときがない、とも言えるかも。
病院食がなぜ飽きるか?という話を聞いたことがあります。
なんか皮肉な話ですが「完璧だから」だと言います。
これは何故、家庭料理が飽きないのか?ということと裏返しなんだそうです。
家庭料理には無駄もあったり足りなかったり、味付けが濃かったり薄かったり、カロリーだって毎食均一ではありません。
だから飽きないのだと。
人にとって「メリハリのある生活」とか「変化のある毎日」が、活力の源だと言います。
しかしそれは別に、毎日事件が起こった方がいいということではないんです。
入院して痛切に思い知ったのは、たかが食事、されど食事なのです。
人が人である限り、どんな食事をとるかということで、たぶん気持ちや心すら変わり得るんだということなのです。
毎朝、菓子パンとジュースだけで学校に行く子供がいると聞きます。
そういうのが「家庭」と呼べるのか?
外食やお惣菜が全て悪いんだと言いたいわけじゃありません。
ごく希に、朝食が菓子パンだったとしても、僕はいいと思うんです。
ごく希になら。
僕が入院で知ったのは、変化がない生活の恐ろしさ。
そして実は「変化」って、とても他愛のないことだったのです。
それに自分が気付かなかっただけ。
気付けば、たった一泊の外泊が、生きていく勇気にすらなるのだということ。
とは言え、この時の僕は、まさかこの後、あんな恐怖が待ち受けているなんて、知るよしもなかったのですが。
7日目の朝食はパンでしたが、1/3くらい食べることができました。
昼食も半分くらい。
夕食も半分くらい。
ようやく副作用は峠を越えた。
僕は心底、ほっとしました。
妻にもメールをしました。
妻も心から喜んでくれました。
会社にもメールを入れました。
また遊びに来て欲しいから。
吐き気は治まりましたが、今度は病院食が食べたくなくなってしまいました。
というか、食べても味がしない。
そうです、これも副作用だったのです。
とにかく味付けが薄いと、なんか変なものを食べてる感じがしてならないのです。
売店でカップラーメンを買って食べてみました(こっそりと)
量は食べられませんが、これくらい濃くないと食べた気がしません。
しかしこんなものばかり食べ続けるわけにはいきません。
妻に、ソースと振り掛けを頼みました。
ついでにお惣菜の鶏の唐揚げとか。
実は、入院で数キロ痩せた僕でしたが、退院後にも味覚がなかなか戻らず、濃い味付けのもの(=高カロリー)ばかり食べ続けたせいで、あっという間に入院前の体重に戻り、さらには数キロ増えてしまうことになるのでした。
僕が副作用で苦しんでいる間に、病室では患者さんの入れ替わりがあり、Oさんという、70歳くらいの男性が新たに入院してきました。
やがてこのOさん夫婦と僕達夫婦は、入院中一番に仲良くなるのですが、この時Oさんは僕を、なんて陰気なヤツなんだと思っていたそうです。
僕が回復してからは、積極的に話しかけたり冗談言っていたので、その豹変ぶりにとても混乱したそうです。どっちが本当のshigeoさんなんだろうと。
そりゃそうですよね。
ニコリともしないで挨拶もロクにしなかったんですから。
後で「抗癌剤で辛かったんですよ」と説明して、ようやく納得していただきました。
ま、それくらいひどかったと。
と思うと、やはり見舞いを断ったのは正解だったと言えるのかも。
ようやく食欲も戻ったのですが、そんなわけでとにかく病院食を食べたくない。
そこで再び、外泊のお願いをしました。
2月4日、一泊の外泊が許可されました。
家では、妻が僕の好きな料理を作ってくれました。
もちろん、腹一杯食べることはできませんでしたが、家で食べる食事は、とにかく美味しいのです。
たった一泊の外泊でしたが、それでまた僕は、再び戦う勇気を得ることができました。
それまで、色んな闘病日記を読んで、なんてみんな、寸暇を惜しんで外泊したがるのだろうと、少し不思議でもあったのですが、なんのこっちゃない、自分の入院が長引いて、ようやくその理由がわかったのでした。
「理由」なんてもんじゃないですね。
病院にずっといると、心が渇くんですよ。
気が休まるときがない、とも言えるかも。
病院食がなぜ飽きるか?という話を聞いたことがあります。
なんか皮肉な話ですが「完璧だから」だと言います。
これは何故、家庭料理が飽きないのか?ということと裏返しなんだそうです。
家庭料理には無駄もあったり足りなかったり、味付けが濃かったり薄かったり、カロリーだって毎食均一ではありません。
だから飽きないのだと。
人にとって「メリハリのある生活」とか「変化のある毎日」が、活力の源だと言います。
しかしそれは別に、毎日事件が起こった方がいいということではないんです。
入院して痛切に思い知ったのは、たかが食事、されど食事なのです。
人が人である限り、どんな食事をとるかということで、たぶん気持ちや心すら変わり得るんだということなのです。
毎朝、菓子パンとジュースだけで学校に行く子供がいると聞きます。
そういうのが「家庭」と呼べるのか?
外食やお惣菜が全て悪いんだと言いたいわけじゃありません。
ごく希に、朝食が菓子パンだったとしても、僕はいいと思うんです。
ごく希になら。
僕が入院で知ったのは、変化がない生活の恐ろしさ。
そして実は「変化」って、とても他愛のないことだったのです。
それに自分が気付かなかっただけ。
気付けば、たった一泊の外泊が、生きていく勇気にすらなるのだということ。
とは言え、この時の僕は、まさかこの後、あんな恐怖が待ち受けているなんて、知るよしもなかったのですが。