自己紹介
onai shigeo
性別:男
昭和36年(1961)生まれ

部位:右腎盂
手術:02.01.09 右腎臓摘出
予後:T2 G3 (筋層浸潤)
予防的抗癌剤 1クール

癌の手術から生還して9年目突入。
進行癌だったため、今も年2回のマジに痛い検査は欠かせませんが、癌になったお陰で、重い鎧を脱ぐことが出来たと強く感じます。
今から思えば、僕は自分自身にカウンセリングをしていた、そうすることで恐怖や不安、そして未来への虚無感から脱出できたのです。

「癌は二度、人を苦しめる」
これが僕のテーマです。
病としての癌に対して、僕が出来ることはなにもありません。
せめて癌から派生するココロの痛みのケアがしたい、それが僕がカウンセラーであり続ける基本だと考えています。

2010年現在、東京都委託事業として、
都内2箇所のがん拠点病院内で
「ピアカウンセリング」を行っています。
東京都がん患者療養支援モデル事業(ピアカウンセリング事業)
(受託事業所:NPOがん患者団体支援機構)
PROFILE
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
OTHERS

08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

がん以前以後

腎盂癌(がん)体験記。また、一個人として、カウンセラーとして、癌と生きることの難しさ、その融和、そして、癒しの試みについて考えます。
<< [27]戦いの準備 | main | [29]見舞客色々 >>
[28]楽しい入院生活
この病院の多くの病室は6人部屋ですが、僕が個室から移されたのは北向きの寒々しい4人部屋でした。
泌尿器科はとても年配者が多い科です。
(それを言ったら、そもそもどの病棟も年配者が多いのですが)

4人部屋の他の3人は、僕の父親のような世代の人達でした。
それでも僕は積極的に挨拶をして、ことある毎に話しかけました。

後にネットの闘病記で知るのですが、どうやら若い人達は同室の患者と話すのが苦手なようです。
実際、「なるべく話さないようにした」とか「話しかけられるのがイヤで、あまり病室にいなかった」などと書いてある闘病記もありました。

もちろん人は人、そういう人達の心情も理解しますが、ただでさえ入院、治療はストレスを伴うのです。
ストレスを軽減する意味でも、病院で「イヤなこと」を作らない方がいいというのが僕の考え方でした。
(その点、女性は素晴らしいですね。退院後もメールのやりとりを続けているとか、それが切っ掛けで友達になったなど、僕の体験からは信じられないような素敵な話がいくらでも聞かれます)

さて、そんなわけで泌尿器科は年配者が多いのです。
彼等は話しかけると、かなりの割合で気さくに心を開いてくれました。
どこが悪いのか?
どこに住んでいるのか?
病院での話の切っ掛けはこんなものしかありません。
で、驚いたことに、僕以外の3人は全員が前立腺癌なのでした。

毎日通った喫煙室も楽しいものでした。

やがて分かるのですが、若い患者は大体において整形外科病棟の患者です。
工事現場で2階から落ちたとか、自動車事故とか、入院期間は長いのですが、彼等は異様に元気でした。
ご飯に大盛りがあるのも整形外科病棟だけなのだそうです。

彼等は松葉杖をついて、または車椅子に乗ってわざわざアクセスの悪い屋上の喫煙室まで来るのです、日に何度も。

ある日、屋上に上がる唯一のエレベーターが保守点検で止まっていたときがありました。
エレベーターは3基あって、残りの3基は一階下までしか上がれないのです。

すでに仲良くなっていた喫煙仲間と、「これじゃー整形のあんちゃんたちは来れないねー」などと話していたら、ある男性が、階段を松葉杖で上がってきたので一同爆笑したことがありました。

(病院における喫煙室の特異的な連帯感については、別ブログ「カウンセリング未満「喫煙室考(下)をご参照下さい)

会社の人達も入れ替わり立ち替わりで顔を見に来てくれました。
もちろん仕事の打合せも兼ねてなのですが、それでも一人の時間が短くなるのは有り難いかぎりです。

忙しい友人達も来てくれました。
東京に住む友人も、わざわざ来てくれました。

僕は、オープンにすることが、自分が楽になる秘策だと考えていました。
しかし中には、友人にも入院を知らせない人がいるようなのです。

もちろん、色んな考えがあって当然ですから、僕の選んだ方法がいいと言いたいわけではありません。
事実、僕自身が、自分の殻に閉じこもってじっと耐えようかと考えたこともあるのです。
その方が楽なんじゃないかと。

結局、僕は社交的であったからオープンなスタンスを貫いただけなのかもしれませんが、EQコーチの立場から考えてみても「入院生活は思い出したくもない嫌な体験だった」という記憶は、本人のその後の人生にとって何もメリットがないのではないかと感じるのです。

別に「入院生活が楽しかった」から、再発転移してもいいと思うわけではありません。
しかし最悪、また入院しても、入院生活そのものがストレス化することはないと自信を持って言えるのです。

癌になって、入院治療に良い思い出がなくて、仮に転移再発してしまって、再入院する事態になったとします。
再び、治療や癌の進行への不安、恐怖が襲ってきます。
そしてそこに「嫌な」入院生活へのストレスが加わるのです。

たぶんこの問題の本質は「癌になったことを知られたくない」心情から来るかも知れません。

しかしそれでも思うのです。
隠せば隠すほど、「それ」に囚われるのは自分自身なのだと。
そしてオープンにしたからといって、僕はほとんどデメリットを経験しませんでした。

そしてこういうことも考えました。

会社には、いわゆる生保レディーがよくやってきます。
「癌でも入れる保険、作ってよー」
「癌じゃないって嘘付いて契約していい?」
などと冗談まじりで言うのですが、たぶん彼女の意識の奥に「癌になって保険に入れない人達が存在する」ことがインプットされたでしょう。

それがどこかにつながるか、広がるか、それは分かりませんが、僕はこれを種まきだと考えているのです。
果てしのない種まきです。
それでも、「隠したら人には伝わらない」
巡り巡ってどこかで、僕の癌体験が役に立つのかもしれない。

そう思うと、なんか楽しくないですか?
| 癌、以前以後(治療記) | 14:42 | comments(1) | - | pookmark |
私は、shigeoさんと同じく職場で改善業務の中心となって活動している時に、いきなり自覚症状(がん、と言う訳ではなく異変と言う意味で)が出て、気楽に病院に言って、その場で告知、即入院でした。
直属の上司にも、「午後から行きます」と連絡していたありさまでした。
でも、職場全体には詳細には明かしていませんでした。実は、同じ時期に大腸がんになった課長さんがいて、馬鹿な年配社員が興味本位にいつも噂話していて「あんな風にネタにされたくない!」と強烈に感じたからです。ただし、お見舞いに来てくださった人(つまりは、自分に興味を持ってくれた人)には全て包み隠さず説明していましたよ。
驚いたのは、「詳細を話さないで欲しい」とお願いした部長さんが本当に個人情報保護法を理由に病気の内容までは説明して無かったこと。これは、精神的に助かりました。
義理だけで見舞いにきて暮れる人が減りますから。
そして、見舞いに来てくれは人には、全て話していたにも関わらず、噂話レベルでは私の病気の事は会社にも広まっていませんでした。
必要以上に気を使ってもらうこともなく、私個人は助かりました。
| びー | 2007/05/06 12:46 PM |