2007.02.04 Sunday
[27]戦いの準備
入院が長期にわたると判ったら、もういても立ってもいられません。
僕はすぐに外泊を医師にお願いしました。
医師も好意的です。
抗癌剤の投与開始日は1月28日に決定しました。
そしてその前日の夕方まで外泊してもいいと許可がでました。
なんと9日間もあります。
(正確には1晩、検査の都合で病院に戻りましたが)
ただ、一点だけ問題があったのは、手術によって肝機能が低下しているので、毎日注射を打ちに来てもらわなければならないとのこと。
それでもよければ外泊していいというのです。
もちろん僕も妻も異存はありません。
そんなことより、とにかく家に帰りたくてたまらないのです。
術後10日目に、僕はようやく外泊というかたちで家に帰って来られたのでした。
たった2週間いなかっただけだというのに、我が家は無性に懐かしく、そして暖かな場所でした。
自分の部屋。
3匹いる飼い猫。
そして娘達。
そこには入院前と同じ灯りが灯っていました。
自分が帰るべき場所はここだったのです。
「永遠に入院」なんて、絶対にあってはならないのです。
僕は、これから2ヶ月近くも続く治療に対して、どうあるべきなのか、何をすべきなのかを考え尽くそうと思いました。
入院するまであまり理解できていなかった腎盂癌に関して、改めて勉強し直す必要がありました。
抗癌剤についても同じです。
また、この時間的ロスは非常に重いのです。
特に仕事においては。
昨年のうちに最悪のケースを踏まえて準備は整えてありましたが、せっかく外泊したのですから、もう一度精査する必要がありました。
僕は長い外泊の間、毎日何時間もインターネットをし、毎日病院に注射を打ちに行き、会社にも何度か顔を出して、上司や部下とミーティングを行いました。
まだ寒い季節です。
長時間、パソコンに向かっていたりすると、腰のあたりが痛くてたまらなくなりました。
それでなくても夕方になると毎日のように痛むのです。
一回くらいはいいだろうと、家族で食事に出掛けたときも、途中から我慢できなくなって、家族に心配と迷惑をかけてしまいました。
やがてこの痛みは、風呂に入ってゆっくり温まると引くことがわかりました。
思い立って、使い捨てカイロを買ってきて腰に当ててみました。
これはかなり効果的でした。
そこで病院に戻るときは、箱で買い込んで持ち込んだのでした。
夜な夜な僕は考えました。
これから始まる治療は、やはり闘病なんだと。
僕は何を武器に、どう戦えばいいのか?
検査入院と、外泊前までで判明した事実は、
医師達は素っ気なく、必要のないことは一切喋らない。
(回診の時はポケットに手を突っ込んだまま立って話す。色々知りたがると、明らかに嫌そうな顔をする。薬の名前も腫瘍の程度も教えてくれない)
担当の看護士はきわめて事務的で、しかも手抜きをする。
(寝返りも打てないのに座薬を渡して自分で入れろと言った。寝たきりの間、体を拭いてくれたのは一度きり。患者と目を合わせない)
何が何でも僕を大事にしろ!とは言わないけど、無自覚でいたら、快適な入院生活が送れるとはどうしても思えませんでした。
しかも入院は長いのです。
生きる気力も活力も、この入院生活をどのように受け止めるかにかかっていると感じました。
そこで僕は、ここでこそポジティブマインドを発揮しようと決めたのです。
つまり、医師や看護師がどうであろうとも、自分自身は優等生になるということです。
医師にも看護士にも感謝の気持ちを忘れずに、同室の人達とも仲良くして、入院生活をエンジョイすること。
家族や見舞客にも笑顔で接すること。
特に妻には、なるべく負担をかけないようにすること。
それこそが、僕が手にした戦いのための唯一の武器なのでした。
僕はすぐに外泊を医師にお願いしました。
医師も好意的です。
抗癌剤の投与開始日は1月28日に決定しました。
そしてその前日の夕方まで外泊してもいいと許可がでました。
なんと9日間もあります。
(正確には1晩、検査の都合で病院に戻りましたが)
ただ、一点だけ問題があったのは、手術によって肝機能が低下しているので、毎日注射を打ちに来てもらわなければならないとのこと。
それでもよければ外泊していいというのです。
もちろん僕も妻も異存はありません。
そんなことより、とにかく家に帰りたくてたまらないのです。
術後10日目に、僕はようやく外泊というかたちで家に帰って来られたのでした。
たった2週間いなかっただけだというのに、我が家は無性に懐かしく、そして暖かな場所でした。
自分の部屋。
3匹いる飼い猫。
そして娘達。
そこには入院前と同じ灯りが灯っていました。
自分が帰るべき場所はここだったのです。
「永遠に入院」なんて、絶対にあってはならないのです。
僕は、これから2ヶ月近くも続く治療に対して、どうあるべきなのか、何をすべきなのかを考え尽くそうと思いました。
入院するまであまり理解できていなかった腎盂癌に関して、改めて勉強し直す必要がありました。
抗癌剤についても同じです。
また、この時間的ロスは非常に重いのです。
特に仕事においては。
昨年のうちに最悪のケースを踏まえて準備は整えてありましたが、せっかく外泊したのですから、もう一度精査する必要がありました。
僕は長い外泊の間、毎日何時間もインターネットをし、毎日病院に注射を打ちに行き、会社にも何度か顔を出して、上司や部下とミーティングを行いました。
まだ寒い季節です。
長時間、パソコンに向かっていたりすると、腰のあたりが痛くてたまらなくなりました。
それでなくても夕方になると毎日のように痛むのです。
一回くらいはいいだろうと、家族で食事に出掛けたときも、途中から我慢できなくなって、家族に心配と迷惑をかけてしまいました。
やがてこの痛みは、風呂に入ってゆっくり温まると引くことがわかりました。
思い立って、使い捨てカイロを買ってきて腰に当ててみました。
これはかなり効果的でした。
そこで病院に戻るときは、箱で買い込んで持ち込んだのでした。
夜な夜な僕は考えました。
これから始まる治療は、やはり闘病なんだと。
僕は何を武器に、どう戦えばいいのか?
検査入院と、外泊前までで判明した事実は、
医師達は素っ気なく、必要のないことは一切喋らない。
(回診の時はポケットに手を突っ込んだまま立って話す。色々知りたがると、明らかに嫌そうな顔をする。薬の名前も腫瘍の程度も教えてくれない)
担当の看護士はきわめて事務的で、しかも手抜きをする。
(寝返りも打てないのに座薬を渡して自分で入れろと言った。寝たきりの間、体を拭いてくれたのは一度きり。患者と目を合わせない)
何が何でも僕を大事にしろ!とは言わないけど、無自覚でいたら、快適な入院生活が送れるとはどうしても思えませんでした。
しかも入院は長いのです。
生きる気力も活力も、この入院生活をどのように受け止めるかにかかっていると感じました。
そこで僕は、ここでこそポジティブマインドを発揮しようと決めたのです。
つまり、医師や看護師がどうであろうとも、自分自身は優等生になるということです。
医師にも看護士にも感謝の気持ちを忘れずに、同室の人達とも仲良くして、入院生活をエンジョイすること。
家族や見舞客にも笑顔で接すること。
特に妻には、なるべく負担をかけないようにすること。
それこそが、僕が手にした戦いのための唯一の武器なのでした。