自己紹介
onai shigeo
性別:男
昭和36年(1961)生まれ

部位:右腎盂
手術:02.01.09 右腎臓摘出
予後:T2 G3 (筋層浸潤)
予防的抗癌剤 1クール

癌の手術から生還して9年目突入。
進行癌だったため、今も年2回のマジに痛い検査は欠かせませんが、癌になったお陰で、重い鎧を脱ぐことが出来たと強く感じます。
今から思えば、僕は自分自身にカウンセリングをしていた、そうすることで恐怖や不安、そして未来への虚無感から脱出できたのです。

「癌は二度、人を苦しめる」
これが僕のテーマです。
病としての癌に対して、僕が出来ることはなにもありません。
せめて癌から派生するココロの痛みのケアがしたい、それが僕がカウンセラーであり続ける基本だと考えています。

2010年現在、東京都委託事業として、
都内2箇所のがん拠点病院内で
「ピアカウンセリング」を行っています。
東京都がん患者療養支援モデル事業(ピアカウンセリング事業)
(受託事業所:NPOがん患者団体支援機構)
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がん以前以後

腎盂癌(がん)体験記。また、一個人として、カウンセラーとして、癌と生きることの難しさ、その融和、そして、癒しの試みについて考えます。
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[21]入院の準備をしながら思ったこと
入院のための準備は12月から始めていました。
入院が、正月三が日明けて直ぐですから、慌ただしいことこの上ありません。

音楽CDをダビングしたMDを十数枚
軽い内容の文庫本、数十冊(全て古本)
手帳・ノート・筆記用具
モバイルパソコン・モバイル通信カード

パジャマ数着・下着も新調・スリッパ
湯飲み茶碗・箸
洗面用具・入浴用具

退院したら使わないであろう物は、全て100均ショップで調達しました。
便利な世の中になったものです。

生活必需品以外は、わずか数日の検査入院でも時間を持て余した経験から、如何に暇つぶしできるかが重要なテーマとなっていました。

好きな音楽がいつでも聴けること。
ストレスを溜めないためにはこれも大切です。

読書は大好きでしたが、恐らく難しい本は読めないのではないか?そんな予感がして、軽い内容のミステリー小説を中心に大量に買い込みました。
(漫画も好きですが、これはあっという間に読み終えてしまうので却下しました)

そして、なんといっても強力ツールはモバイルパソコンです。
前年から会社も、パソコン一人一台体制が整い、メーリングリストの活用も始まっていました。
誰とでもダイレクトに、もしくは一斉に連絡が取れるのです。

入院する病院は市内で会社からも近いので、恐らく何人かは頻繁に顔を出してくれることは予想できました。
しかし、病室や喫煙室などで、どの程度、仕事の話ができるかこの時点ではわからなかったのです。

携帯電話も持っていましたが、何しろ病院内は基本的に携帯電話使用禁止ですから、おおっぴらに使うわけにはいかないのです。
(検査入院の時には、平気でベッドの上で携帯を使う患者がいて驚きましたが)

携帯メールはもっぱら妻との連絡用。
実際、あれが欲しいとか頼むのに重宝しました。

モバイル通信はPHSで、医師や看護士もPHSを院内で利用しているわけですから使っても問題ありません。
必要なときに必要なデータが入手出来るように、無料の共有データサーバーの申込みもしておきました。

闘病日記を付けようか?
実は入院前も、退院後も、このことについてかなり迷っていたのです。

書くことの好きな僕でしたが、そこに情熱が注げないような気がしてならなかったのです。
何故だか。
すでに多くの闘病記に目を通していて、(自分は転移しない気でいたので)「闘病記」として面白い内容にならないのではないか?と考えていたのも事実です。
「転移している人」の闘病記が面白いというのは大変語弊がありますが、でも簡単な手術で緩解した体験談なんて、はっきり言って読みたくないのが本音ではないでしょうか?
(一部、芸能人等の有名人の闘病記は除く)

小説や映画が好きで、一度はシナリオライターを本気で目指そうとした経験を持つ僕としては、自分の闘病記にドラマ性が認められないことで、書く意欲そのものを失ってしまったのでした。
(では僕が転移していたら闘病記を付けていたのか?これはこれでまた疑問です。世の患者さん達が、抗癌剤や後遺症の苦しみの中、しぼり出すように克明に闘病記を記し続けるその情熱や強い意志には、本当に畏敬の念を抱きます)

結果、僕は箇条書きでその日のトピックスを記す程度で、体裁の整った闘病日記はとうとう付けずに退院し、その後まとめることもしませんでした。
(そのせいで今こうして体験記を書き起こすのに記憶が曖昧で四苦八苦しているのです)

さて、そうやって準備を整え、仕事も精力的こなし、忘年会にも何度か出席し、毎回、二日酔いになるほど飲みました。
(飲み始めると止まらなくなりました)

25日は次女の誕生日でもあり、恒例となったフライドチキンとチーズフォンデュとケーキを食べて楽しくお祝いしました。
30日からは会社も休みに入ったので家の大掃除。
大晦日はいつも通りに年越し蕎麦を食べて、紅白歌合戦を見て・・・

意識しなければただ毎年繰り返されるだけの日常。
意識すれば、瞬きすることすらもったいない、貴重なシーンの連続なのでした。

年が明けて元旦は、実家に、兄の家族と集まってお祝い。
2日は妻の実家へ。
3日、最後の自由な一日でした。

家族と初詣に行って、ショッピングセンターに行って買い物したり、ゲームセンターで子供と遊んだり、特別ではない、しかし特別な最後の一日は、こうして終わったのでした。

入院前夜、僕は何を思っていたのだろう。
実は、検査入院前が鮮烈な記憶として残っているせいなのか、かんじんの1月3日の夜のことが思い出せないのです。

まな板の鯉であったことは事実だし、今更感傷に浸ることもなかった、だから記憶にないのかなとも思います。

当分飲めなくなるからと、ビールを何缶も飲んだのは、覚えてなくても間違いないと思います。

そういえば、お風呂ではいつも以上に入念に身体を洗ったことを思い出しました。
入院する病棟は、入浴設備がよくないからです。
9日の手術日まで何回入浴できるか分かったものではありません。
そのために、よく洗ったような気がします。

とにかくこんな感じで、僕はいよいよ入院の日を迎えることになりました。
どんな治療、どんな入院生活が待っているのか?
このときは当然、知るよしもなかったのでした。

願いはとにかく生きて帰れること。
突き詰めれば、それさえ叶えばいいのでした。
| 癌、以前以後(治療記) | 20:59 | comments(0) | trackbacks(2) | pookmark |









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