自己紹介
onai shigeo
性別:男
昭和36年(1961)生まれ

部位:右腎盂
手術:02.01.09 右腎臓摘出
予後:T2 G3 (筋層浸潤)
予防的抗癌剤 1クール

癌の手術から生還して9年目突入。
進行癌だったため、今も年2回のマジに痛い検査は欠かせませんが、癌になったお陰で、重い鎧を脱ぐことが出来たと強く感じます。
今から思えば、僕は自分自身にカウンセリングをしていた、そうすることで恐怖や不安、そして未来への虚無感から脱出できたのです。

「癌は二度、人を苦しめる」
これが僕のテーマです。
病としての癌に対して、僕が出来ることはなにもありません。
せめて癌から派生するココロの痛みのケアがしたい、それが僕がカウンセラーであり続ける基本だと考えています。

2010年現在、東京都委託事業として、
都内2箇所のがん拠点病院内で
「ピアカウンセリング」を行っています。
東京都がん患者療養支援モデル事業(ピアカウンセリング事業)
(受託事業所:NPOがん患者団体支援機構)
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がん以前以後

腎盂癌(がん)体験記。また、一個人として、カウンセラーとして、癌と生きることの難しさ、その融和、そして、癒しの試みについて考えます。
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[12]入院患者の作法
目指したのは、何はなくても喫煙室です。
まずは1階の、総合受付近くの喫煙所に入りました。

ここは、階段下の狭いスペースを利用した喫煙室で、
以前は物置だったような感じの場所です。

小さな窓が一つだけ。
しかもその外は巨大な空調設備で視界は遮られています。
その狭いスペースに喫煙テーブル(煙を吸い込むやつ)が鎮座して、
人はひどく窮屈な思いをしなければなりません。

あまり心安らぐ場所ではありません。
パジャマ姿の入院患者も何人かいましたが、
なんとなくみんなよそよそしいのです。

でも病室からはこっちの方が断然近いようです。
一服を終えると僕は、売店へと向かいました。

何度か前を通ったことはあるのですが、
足を踏み入れたのは今日が初めてでした。
で、ここでも憂鬱になりました。

狭いんです!
所狭しと商品が置いてある。
通路をすれ違うのも大変。
ここに車椅子で進入してくる患者さんもいるし。
別にコンビニ並みの快適さを期待していたわけじゃないですが、
地元の大病院の売店がこれかあ?
という落胆は隠せませんでした。

でも、値段は安いんですね、少し。
例えば缶コーヒーが110円(2003年時)。
で、後に気付くのですが、病院内の自動販売機も全て110円だったのです。
これは嬉しかった。

迷路のような病院も、パジャマを着てれば通行手形のようなもの。
職員に呼び止められても迷ったといえば誰もが納得するような複雑な構造だし。
さすがに地下には行きませんでしたけどね。
やっぱりなんだか怖いので・・・

やがてあっという間に昼食の時間になりました。
患者さん達がぞろぞろと食堂に向かいます。
食事は、大きな移動式の保温器?で運ばれてきます。
一つ一つに名札が付いていて、
治療上の制限がある患者と区別出来るようになっているようです。

保温器は、中身が見えないので、引き出してみないと誰の食事だか分かりません。

必然的に保温器の周りに人集りが出来ます。

名前を呼ばれてトレーを受け取って、
少し離れたところでは、
別のヘルパーさんが巨大なヤカンでお茶をサービスしていました。
これをマイカップに注いでもらい、
空いているテーブルを探して席に着くのです。

この、初めての病院食のメニューはまったく覚えていません。
(後にこうして体験記を書くとは考えていなかったので、ほとんど記録らしい記録は取りませんでした。ただ抗癌剤を初めてからは、白血球の数が気になって仕方なかったので、その数値を小さなカレンダーに書き込んでいて、それは今も持っています)

ただ、よく言われるように、うんざりするほど不味いとは感じませんでした。
しかしみそ汁がかなり薄目で、
これだけは本当の入院後も慣れませんでしたが。

周りを見ると、調味料やらノリの佃煮やらを持参している患者さんが少なからずいます。
みそ汁が薄いのは塩分調整のためなんでしょうが、
調味料の持ち込み認めていたら、意味ないんじゃないの?
(などといいつつ、僕もいずれ、ふりかけを常備するようになるのです)

さて、入院に関してずっと疑問だったのは、
マイ箸、マイカップを、みんなはどう洗っているのか?
ということでした。

事前に給湯室(と言う名前だが実質洗面所)を覗いたところ、
お湯は出るけど台所洗剤やスポンジは置いてない。

比較的食べるのが早い僕ですが、
他の患者さんの動向を探るために、
周囲に気を配りながらゆっくりと食べました。

まず一人、食べ終えて席を立ちました。
それとなく様子をうかがっていると、
箸をケースに入れてそのまま持ち帰ってしまうようです。

・・・後で、給湯室で洗うのだろうか?

二人目が立ち上がりました。
この患者さんはなんと、
食堂内の洗面台に向かうと、洗面台で箸を洗い始めました。
そして持参のフキン?で拭いて、何食わぬ顔で立ち去っていったのです。

え?それだけ?

ところが、食事を終えた患者さんは、
次々と洗面台に向かうのです。
実に、食堂で食事した大半の患者さんが、
マイ箸を洗面台で簡単に洗うだけだということが判明しました。

そっかあ、そんなもんで十分なんだよな、
だって入院中だし、病人なんだし。

「郷には入れば郷に従う」をモットーとする僕は、
このシステムを理解し、
さっそく洗面台でマイ箸をジャブジャブと洗ったのは言うまでもありません。

しかしこのシステム、
今はどうなっているのでしょうか?

というのもこの病院は、医療事故や医療ミスのニュースにひどく敏感で、
僕が入院中も、(記憶があやふやですが)東京の病院で、一本の点滴針を温存しながら何日も再利用し、連続で点滴を受けていた高齢者が、院内感染で死亡したという出来事がありました。

この翌日、ただちに僕のいた病院では、
(記憶によると)24時間以上の温存を中止したのです。
しかも、その後は確か、点滴針の温存そのものが禁止になったと思うんです。

こんな感じで、非常に神経質な病院なのに、いくら患者の自己責任とは言え、
箸を軽く洗ったり拭いたりで何日も何十日も済ませていたなんて、
今から考えると矛盾してますよね。

今では入院患者は、野生動物の調査みたいに、
マジックで名前を書いた腕輪を付けられています。

そりゃ、事故が起こるよりはいいんですけどね。
でもその代わりに、何か一つでも、
患者さんの気持ちを和らげる努力もして欲しいと願って止みません。
| 癌、以前以後(治療記) | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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