自己紹介
onai shigeo
性別:男
昭和36年(1961)生まれ

部位:右腎盂
手術:02.01.09 右腎臓摘出
予後:T2 G3 (筋層浸潤)
予防的抗癌剤 1クール

癌の手術から生還して9年目突入。
進行癌だったため、今も年2回のマジに痛い検査は欠かせませんが、癌になったお陰で、重い鎧を脱ぐことが出来たと強く感じます。
今から思えば、僕は自分自身にカウンセリングをしていた、そうすることで恐怖や不安、そして未来への虚無感から脱出できたのです。

「癌は二度、人を苦しめる」
これが僕のテーマです。
病としての癌に対して、僕が出来ることはなにもありません。
せめて癌から派生するココロの痛みのケアがしたい、それが僕がカウンセラーであり続ける基本だと考えています。

2010年現在、東京都委託事業として、
都内2箇所のがん拠点病院内で
「ピアカウンセリング」を行っています。
東京都がん患者療養支援モデル事業(ピアカウンセリング事業)
(受託事業所:NPOがん患者団体支援機構)
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がん以前以後

腎盂癌(がん)体験記。また、一個人として、カウンセラーとして、癌と生きることの難しさ、その融和、そして、癒しの試みについて考えます。
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[09]恐怖の真相
僕は必死に考えました。
発想を逆転してみることにしました。自分がどう死ぬ事が家族や会社のためになるのかと。
というか「僕の死」を、大逆転の一打とすることは出来ないのかと。

会社のことを思いました。
今、自分が取りかかっているプロジェクトは、ずっと僕が温めてきて、今まさに佳境にさしかかっているところである。
反対勢力も未だ存在するし、今後も第二次、第三次の変革が必須、こんな緊張の続く状態で、今、僕が不在になっても、まったく影響を受けない方法なんてあるのか?
いや逆に、僕の変革計画の一番のウィークポイントだった、自分の後継者を作るチャンスではないだろうか?

当時、残念ながら僕と同じ視点で物事を見られる社員は存在しませんでした。
僕の言葉を理解し、実行出来る部下は何人かいましたが、自分で思考して発想出来るまでには至っていませんでした。
しかし、僕が死ぬまでにまだ猶予があるとはいえ、10年以上もレールを用意しておくことは出来ません。高速度の変革が立て続けに起こる現代で、10年もの戦略は無意味でもありますし。
つまり、僕が用意出来るのはどんなに長くても3年分のレール。それを継承し、場合によっては軌道修正も出来る、そういう人材を育成すればいいのです。
「改革の旗手が死ぬ」
これは、潜在的能力を有しながら、未だ能力を開花させていない部下を鼓舞する、最高のテーマではないだろうか?

僕の死は、したがって「企業で常に後継者を作り、事業を継続させる」というサイクルを築き上げる最大にして唯一のチャンスなのです。

この着想に僕は、かなり興奮しました。
「まるで映画のようじゃん」
僕の死後、部下達がテレビの取材を受けるシーンを思い描いて見ました。
「悪くない」

「自分が死ぬことが人のためになることもある」
この発見は、恐怖を無意味にするほどの力があるようでした。
(なんか死んじゃったほうが、上手くいくんじゃないか?)
そんなことを思い、一人で苦笑いをしました。

そして僕は、家庭のことを考えました。
僕が死ねばどうなる?まず家のローンが完済される事(借り入れの時の団体生命保険です)。
僕が死ねばいきなり無借金だし、いざとなったら家を売ればいい。
会社も退職金をはずんでくれるだろう。団体で入ってる生命保険も、きっと全額プラスしてくれるだろう(なんなら生前、お願いしておいてもいいし)
経済的には「最悪の事態」は免れそうだ。
このことに、僕はかなりホッとしました。
やはり家庭は、金銭問題が重要なウェイトを占めている、まして父親(夫)にとっては、ここをクリア出来るかどうかで、気持ちの有り様は極端に変わるのだと感じました。

次に、家族のことを思いました。
ずっと一緒にいたい、中学生になる子供達が見たい、高校生になる子供達が見たい、大学の入学式に一緒に行きたい、働き始める子供達が見たい、大人になって自立して、一人前の口をきく子供達が見たい、
孫の顔が見たい、昔話を一緒にしたい、旅行も行きたい、もっともっと、何度でも行きたい・・・・
この思いを、否定することはどうしても出来ません。だって、否定したくないんだから。

しかし、父親がいなくても子が立派に育つのはよくある話です(友人でもいるし)。
別に片親が問題となることはないはずだと。
それどころか、父の死を乗り越えたとき、子供たちは素晴らしい成長を遂げるかもしれない。

とにかく全ての事をプラスに考えるようにしたのです。とにかくありとあらゆる「僕の死」に関わるマイナス要因を潰していく。
そうすると、最後に残ったのは、「愛して止まない子供の成長を見守れない僕の未練」、ただこれだけだったんです。

この結論に僕は愕然としました。
家族のことを思っていたつもりが、本音の本音は自分にとっての未練だけだったとは・・・
しかしこれは単なるわがままです。わがままは振り切ればいい。

また自分の遺伝子が子供に引き継がれた事、そして父を失う事をプラスに考えられる接し方を自分がすれば良いだけなんですね。
自分は死しても子の心の中に永遠に僕が生き続ける。そして僕の生き様、死に様は孫にも語られるかもしれない。

ここまで考えられたとき、僕はようやく死ぬのが怖くなくなったのです。

いや、死ぬ意味を見いだせたのです。

今日もまた、空は明けてしまいました。しかし、僕は昨日までにはなかった安堵感を得ることが出来ました。
やがて短い眠りにつきました。

やっと癌と立ち向かえる、考えてみれば、これからが本当の戦いなのでした。
| 癌、以前以後(治療記) | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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